このページは所長・小林の個人的な趣味に関する備忘録的ページです。
たいしたレベルではないのですが、一応十数年前からランを趣味にしています。
年齢を重ねて、フルマラソンでは自己ベスト(3:11:22)更新が難しい年代になってきました。
現在は野辺山ウルトラマラソンで10回完走して、「デカフォレスト」という称号をいただくことを目標にしています。
現在の走力は、フルマラソンで4時間を切れないギリギリ切る程度と認識しています。
過去の完走の記録は、jognoteというSNSのサイト(サービス終了)でランの記録をつけていたときの感想文です。
今後、走り続けることが出来たら、その都度更新していきたいと思っています。
自分のための記録用メモ程度の文章で、熟読しても得るものは特にないと思いますが笑、お時間があるようでしたらご覧ください。
野辺山ウルトラマラソン、何とか完走しました。
天候に恵まれ途中までは実力以上に順調なレースだったのですが、ラスト13キロで猛烈な吐き気に見舞われ、地獄を見ました。
前々日の金曜日は朝から研修で大阪へ。夜の懇親会は不参加、土曜日の研修も午後のコマは欠席して土曜日の夕刻に帰宅。準備して20時には就寝。研修の疲れもあってぐっすり眠れた。
当日2時起床。テーピングやワセリン等の処置をしていたところ、胃薬についてすっかり忘れていたことに気づく。自宅の薬箱をみたらサクロンが3包あったのでないよりマシと思い持参することに。3時25分ごろ自宅出発、4時30分ごろ到着。少し寒さを感じた。荷物を預け、トイレに並んで4時45分ごろに整列。今回も第二ウェーブだったので5時10分スタート。今回から制限時間が5分延びて、レース終了は昨年と変わらず19時15分。
仕事が忙しいのを言い訳に冬場から十分な走行距離を踏んでおらず正直不安だらけ。そんなに甘くないとは思うけれど出来る限りのことをして、関門に引っかかる以外でレースをやめないことと、せっかく時間をつくって野辺山に来たのだから今日1日楽しもうということを頭に留めながら走る。
スタートして割とすぐになんだか頭がフラフラすることを認識。昨年頸椎を痛めてからこんな感じなので、この先フラフラしたとしても疲れや暑さのせいではないと確認。曇り空で気温も低め。昨年は23キロ地点で水をかぶっていたのと比べると相当走りやすい。最初の30キロはアップのつもりで走るが、そうはいっても30キロ走るのだからダメージゼロのわけがない。33キロ稲子湯エイドで補給してスタートしたらいってらっしゃいと言われ、そういえば30キロも走ってきたのにいってらっしゃいといわれるレースだったことを思い出す。
道中、同じ力で出来るだけ効率良く進むことを考えていた。自分の走り方は右足でブレーキをかけがちなので、昨年参加した甲州道中鳥の旅で一緒に走ってくれた方(F村さん)の走り方を思い出しながら、姿勢をよくしてできるだけブレーキをかけずに特に右足を後ろに流す感じで走ることを意識。46キロまでの大下りを終えて松原湖から小海町へ向かう上り坂もわりとスムーズに走れた感じがした。
50キロ小海町エイドに向かう途中で地元老人クラブ?の大集団から熱烈な応援を受け、50キロ到着がスタートから5時間30分。天候が良いからか、体力的にもまだ余裕がある感じ。美味しい手打ちそばもしっかり味わって食べることが出来た。
北相木村往復から南相木村役場の例年苦戦する中盤戦も、走り方が良かったからか天候が良かったからかはわからないけれど例年になく順調。このあたりから少しずつ内臓がやられ始めている兆候はあったけれど、持参したサクロンが予想以上に効いた感じがした。そろそろ脚がヤバいと思ったタイミングで芍薬甘草湯(ツラレス)を投入したらこちらも良く効いてくれて、いつも歩いてしまう南相木村役場までの上りをほぼ走りとおすことができた。
南相木村役場を過ぎて滝見の湯までは急な上り坂。歩いて上るが後続のランナーに次々追い越されていく。歩き方が違うのだろうけれど、自分の歩きの遅さは今後の課題。滝見の湯から馬越峠入口はどちらかというと平たん。今年はまだ余裕があったので、どうせこの後馬越峠は歩きとおすのだからここは走っておこうと思い、周囲のランナーと集団を作って走る。
スタート時の実行委員会からのアドバイスとして、頭を使うとエネルギーを消費するから前半戦は考えないで走るのが良いといった趣旨の話があり、また予想以上に走れていたこともあって馬越峠まではあまり考えずにきたけれど、峠までの道を歩きながらゴールまでの制限時間と距離を計算しだした。80キロ地点に15時30分までに着けば残り20キロを3時間45分でいけばよい、峠を過ぎると85キロまではくだりだからそこをキロ6分程度で走れば残りを全歩きでもOKだという思考にとらわれだした。同時に内臓がだいぶヤバくなってきていて、峠の途中で5分ほど横になって回復を図った。
馬越峠でも歩きの遅さに直面したけれど、それでも自分のペースで進み、15時25分ごろに79キロ馬越峠の頂上に到着。ここで最後のサクロンと同時にロキソニンを服用。結果的にこれが誤りその1だった。サクロンはいい仕事をしたけれど、ロキソニンを飲んだことでやられかけている内臓にさらにダメージを加えたのではないかと、後から考えるとそう思う。
それでもサクロン効果で85キロまでの下りはほぼ走り、その勢いで87キロ川上村エイドに16時15分ごろ到着。あと13キロを3時間かけて走ればよいので、ほぼ歩きでいくことにした。ただエネルギー切れが怖いので、エイドの食糧のなかからバナナを選択して口に入れた。このバナナが誤りその2で、内臓にダメージを与えたように感じた。バナナが悪いわけではないけれど、たぶんタイミングが悪かった。
エイドを出て歩いている途中、これまでにない吐き気が襲う。どうしようかと思ったけれど、むしろ吐いてしまった方が楽になるのではと考え、口に指を突っ込んで嘔吐を試みた。出るのは胃液のみだったけど、少し楽になったような気がして下りでランを入れてみた。その後90キロ地点手前の上り坂を歩いていたところ、また猛烈な吐き気がきて道端で嘔吐。その後も3キロごとに吐き気が襲う感じ。苦しい苦しいラスト10キロになった。
ただ昨年参加した鳥の旅で、四谷でほぼ意識を失い気がついたら市ヶ谷駅前にいたことを思い出し、前後不覚になることだけはないように、意識を保ちながら歩くことに注力。ラスト10キロでも走れるタフなウルトラランナーたちに追い越されまくったけれど、なんとかラスト3キロの最終エイドまでたどり着いた。
ラスト3キロになっても回復はせず、ラスト2キロ手前で18時15分の時計を確認。制限時間まであと1時間あるから、とにかく意識を保ってゴールしようとだけ考えていた。ラスト1キロ手前でもう一度嘔吐。最後はゴール前の直線を何とか走って、18時50分ごろゴール。練習不足や重め残りの体重などを考えると、本当によくゴールまで自分の身体を運んでこれたと思う。迎えに来てくれた妻には、「俺すごくない?こんな生活でこんな出たお腹で、よくゴールまで来たと思わない?」と思わず本音がでた。
吐き気は翌日の午前中も多少残り、食欲もあまりない状況でした。
本当に天候に恵まれたレースでした。と同時に馬越峠を越えてからが野辺山本番ということを改めて思い知らされたレースでした。
あまりにもしんどすぎて来年のことはまだ考えられませんが、そうはいっても完走7回まできたので、ここでやめるのも違うような気もしています。
79キロ馬越峠の頂上でリタイアしました。まずは練習不足が全てですが、今回も暑さにやられた感じです。熱中症か脱水症状かはわかりませんが、40キロ過ぎですでにフラフラで、様々な対策を試みましたが力尽きました。翌日になってもまだフラフラする感じです。
朝の気温が甲府で20℃、野辺山でも午前5時前で12℃くらいで今回は暑さとの戦いと認識。今回も第二ウェーブだったけれど、スタートして少ししたところでそういえば昨年いきなり踏み切りに引っかかったことを思い出し、少しペースアップして回避。通り過ぎて30秒ほどで踏切が下がる音が聞こえた。
23キロ地点ですでにかぶり水をかぶる状況。50キロを5時間30分くらいと思っていたけれどなかなかペースが上がらず。稲子湯エイドをすぎてしばらく続く登りはほぼ歩き。経口補水液を飲んだり梅干しを食べたりして対策しつつ進む。下りに入って、予想以上に脚が残っていないことと、すでにフラフラすることを認識。思うように目が開かない感じ。42キロで昨年とり逃した湘南ゴールドエナジーをゲットしたが回復には至らず。その先46キロまでの大下りもペースが上がらない。50キロ地点で5時間45分。今年から復活したおそばをいただいたが、すでに味覚を失っていたようで残してしまった。ただ、暖かいカフェオレやコーラを飲むと少し回復することに気づいたので、その先のエイドでは出来るだけどちらかをとりつつ、歩きも交えながら何とか前に進んでいた。「ベストを尽くす」のではなく「全力を尽くす」のだとか、そんなことばかり考えていた。北相木村役場を折り返してから歩きの占める割合が大幅増。周囲のランナーをみると昨年以前にも同じような場所で同じようにお会いした方を何人も目にしたので、自分だけがやられているわけではなく暑さで皆ペースがあがらないのだと認識。何とか気持ちをつなぎとめながら進んでいたが、脚も何度かつりかけて走ることもままならず。
68キロ南相木村役場でここがゴールの方が乗るバスに一緒にのろうかと考えて踏みとどまり、71キロ滝見の湯エイドでちょうど救護車に乗るランナーを見かけて一緒に乗ろうとして踏みとどまり、74キロ馬越峠入口のエイドを出て300メートルほど進んだところでやっぱりもう無理だと思い50メートルほど来た道を引き返して、エイドに戻っててリタイアしようとした。ウルトラには復活があるのでやはり峠まではいこうと考えなおしたものの、登りの途中で何度も膝に手をついて立ち止まる有様。この先馬越峠について下りになってもペースを上げるのは難しいと判断。関門までは少し時間があったけど、峠の頂上でリタイアを選択した。
収用車で一緒になったランナーとお話する中で、熱中症になりかけたらとにかく水分をたくさんとることが大事とデカフォレストの先輩が言っていたという話を聞いた。水分の摂りすぎで内臓がやられることを恐れてこれまで出来なかった選択肢だけど、結果的に暑さでやられているので、次に似たような状況があったらダメもとで試してみようと思った。今回は歩いた時間が長かったからか、脚のやられ度は以前ほどではない感じなので、今後必要なのは練習量と、暑さ対策をもう少し突き詰めることかなと思う。
今回あらためて野辺山がキングオブウルトラであることを痛感させられ、もう今回限りにしようかという気持ちも正直あります。
時間が経って今回の完走率などがわかったら、そのときにどう思うかも含めて来年以降のことは考えようと思います。
野辺山、今年も完走できました。
以下備忘録です。写真は撮っていないのでありません。
3年ぶりの開催、個人的にも大会への参加自体が2年半ぶりくらいで、復帰戦がいきなり野辺山ウルトラという不安8割な状況。
腰痛や股関節痛もあって、まずは完走を最大の目標として準備した。
ゴールデンウィークに距離に対する不安軽減のため30キロ走や40キロ走を実施。
今年の大会は水筒持参が必要で、チャレンジ富士五湖の大会レポ等からエイドでの補給も難しい様子と判断し、以前購入したランニング用バッグ(Rush7)を背負って走ることにした。前日に装備を準備して、8時前には寝床に入った。
当日2時15分起床。まずは抗原検査。陰性で無事第0関門をクリア。テーピング等を念入りに。今回はファイテンのチタンテープを使用。かなり良かった。特に膝と腰。今回は第2ウェーブで5時15分スタートだったので、妻の運転で3時30分過ぎに出発、4時45分ごろ到着。
今年から会場の導線が変わってどうなるかと思ったけれど、歩く距離が長くなった以外は特段問題なし。健康チェックの確認を受け、手荷物を預けてから駅のトイレへ。第1ウェーブのスタートを見送った後、5時15分にスタート。
完走が最大の目標なので、過去大会HPのユプシロンからのアドバイスなどをみて、他の人と競わないこと、制限時間オーバー以外でリタイアしないことの2点を意識して走ることにした。
スタート直後、いきなり踏み切りでつかまる。最初の10キロ程度はアップのつもりでゆっくり目。今年は従来のコースに戻ったので、前半戦は林道のオフロードコース。そういえばこんな感じだったかなと思い出しながら進む。
例年より最低気温は高めだったものの、前半戦は雨模様で、八ヶ岳にかかる雨雲の中を進む感じ。個人的には走りやすい天候とポジティブに感じていた。林道は整備されて走りやすくなっていた。ところどころ水たまりや泥んこコースになっていて難儀したけれど。
水筒をもっていたので、エイドに頼ることなく自分のタイミングで給水ができるのは良かった。経口補水液のパウダーを持参して、前半戦は無くなりかけたら新しくつくるようにしていた。
第2ウェーブスタートだったので、そのうち第1ウェーブの後方のランナーが目に入るようになった。歩いている人が多くて影響されそうになったけど、他の人と競わないと何度か心の中で反芻して自分のペースで進んだ。
このコースは平たんがほとんどなく、登りか下りなので、登りは少し頑張って、下りは放っておいても走れるボーナスステージと考え、なるべく下りで楽をするように心がけた。
50キロ地点の到着をだいたい5時間30分くらいと考えていたところ、たどり着いた50キロ小海エイドで5時間25分。前半戦はそこそこ順調。
今年は35キロ稲子湯のお汁粉も、50キロ小海エイドのそばもなくてちょっと寂しかった。またいつか復活してもらえたらと思いながら、自分で持参したジェルなどで補給した。
小海エイドでトイレにより、補給をすませて北相木村往復に向けて出発するころには天候が回復。標高も相対的に低いため気温が上がってきた。のぼり基調の北相木村役場への道でだんだん余裕がなくなってきて、ああそういえばここからがしんどいんだったと思い出しながら走っていた。前回より少し冷静に走れていたように思う。
北相木村役場で、暑さ対策として持参していたクールレスキュー(冷やす使い捨てカイロのようなもの)を投入。最初帽子の中に仕込んだけど、大きくてうまく収まらなかったのでリュックの背中に当たるところに装着。これがなかなかよかった。またエイドごとにかぶり水をしっかりと頭と手足に入念にして、暑さでやられないように徹底した。これもよかったと思う。
それでもいつもしんどくなる65キロ過ぎから今年もやっぱりしんどくなり、歩きが頻繁に入るようになった。いま振り返って冷静に考えると、50キロを過ぎてからの北相木村役場往復のあたりで毎年内臓の様子がおかしくなりはじめて補給がおろそかになり、その補給不足の結果として65キロ過ぎでエネルギー切れが起こり、毎年鬼門になっていると思う。
本格的な登りがはじまる68キロすぎから、例年同様フラフラと熱中症のような感じで意識もうろうとしはじめた。今年は補給が不十分なためだと気づき、ブドウ糖を補給しようと持参していたラムネを数粒かじり、水筒の水で流し込んだら、数分後に劇的に意識が戻った。このあたりでも例年より冷静だった。前半戦が涼しかったため内臓のやられ方が例年より少なく、また走るときに吐く方の呼吸を意識したこともよかったのか、嘔吐感は今回ほとんど感じなかった。
71キロ滝見の湯エイドは場所が変わっていて、残念ながらファイテンのマッサージブースもなかった。予想はしていたので、持参していたロキソニンローションを足に塗って、もはや限界に近い足を何とか復活させようと試みた。多少復活した足で、走りと歩きを織り交ぜながら馬越峠へ。峠ののぼりは全歩き。前を歩くデカフォレストリーチのランナーが「この後全部歩いても時間的にゴールできますよね」とか話していて影響をうけた。
この後全部歩くにしても、79キロ地点峠の頂上から85キロ地点までは登った分下るので、ここでタイムを稼げばあとは全歩きでも良いという思考にとらわれるようになった。
とりあえず下りをある程度飛ばして走り、その後走ったり歩いたりして87キロ川上村エイドに到着。時間的には十分な余裕があったので、エイドから90キロ地点まではほぼ全歩き。90キロ地点到着が16時40分。完走が目標でタイムにはそれほどこだわりがなかったので、この後も全部歩こうかと考えたけれど、デカフォレストリーチのランナーやユプシロンの走る姿などを見て、思い直して100歩走り50歩歩きで進む。
最後までそれで進み、18時15分ごろゴール。以前の自分なら最後の10キロで13時間切りにこだわったかもなどと思いながらも、完走できてそれなりにこみあげるものがあった。不安が大きい中スタートして、気温などポジティブに働いた要因もあったものの、よく自分をコントロールしてゴールまでたどり着けたと思う。
その他の感想。
(1)他の人と競わない考え方は非常に良かった。いつも追い越されると自分がペースダウンしているのではないかとネガティブに考えがちだったが、今回は追い越されるたびに他の人と競っているわけではないと冷静に考えることが出来た。結果として自分のペースで走れている時間が長くなったと思う。
(2)今回はじめて第2ウェーブスタートだったが、今の自分にはこちらの方があっているかもしれないと思った。後ろから早いランナーに次々と追い越されるようなことも少なく、同じくらいのペースの方々とずっと前になり後ろになりしながら走れたように思う。
(3)地元の方のエイドがありがたかった。松原湖の途中の登りにあるエイド、北相木村役場へ向かう途中のホースから水を流してくれているエイド、北相木村からの帰り道のおいしい麦茶をいただいたエイドなど。子供たちの応援もありがたかった。
開催してもらえて、走れることがありがたいと心から思いました。
色々なことがうまくいったレースでした。その分翌日の全身痛がひどい気もします。
また来年も参加できるように、節制して過ごそうと思います。
野辺山、何とか完走しました。
今年もきつかった。。。
印象に残ったものベスト3
1)それが大事
2)滝見の湯のパイナップル
3)川上村エイドのおかゆ
土曜日の昼過ぎに前日受付へ。
今年もコースガイダンスを拝聴。
準備をして夜8時過ぎには電気を消したけどなかなか寝付かれず。
当日。2時20分起床。
テーピングをして着替えて、ご飯を食べて。
多少慌ただしかった。
3時25分ごろ出発。4時半ごろ到着。
5時スタート。今回は前半ゆっくりいって、後半にどれだけ余力が残るか経験してみようと思っていたのでゆっくり目。道中、スマホのアラームが鳴りだして慌てる。一番電車通過後に踏み切り通過。はじめてのこと。コースが変わってどんな感じかと思っていたけど、特段楽になったという印象は受けなかった。確かに標高は低いところをうろうろしてはいたけれど、結局100キロだし、野辺山だしという感じ。
20キロ過ぎくらいから、ずっと違和感のあった右ひざの周辺が痛みだした。まあ、予想の範囲内。
前半戦は割と順調。各エイドで補給をしっかりと。よくかんで。今回はショッツは使わなかった。暑かったけど風があったので、一昨年ほどのしんどさはなかった。内臓も、多少の気持ち悪さはずっとあったけど、えづくほどではなかった。
小海エイドの手前でサロマ完走Tシャツを着ている人が複数いて、どちらもフィニッシュタイムが10時間前後だったので、自分は飛ばしすぎなのかと思った。でも、最終的には後半の粘りの違いと痛感。このあたりからエイドごとにかぶり水。
50キロを過ぎてからも淡々と走る。このレースのハーフは79キロの馬越峠といいきかせた。それでもしんどい北相木村役場往復をなんとか走る。前半戦の登りがなかった分、まだ脚が残っているなあ、などとこのあたりでは考えていた。
63キロのエイドを過ぎて、登り本番。いつもこのあたりから歩き出す。今年も走りつづけられず。ということは、前半戦が楽になったというわけではないというのが自分の結論。
一度歩き出すとエネルギーの枯渇が露骨に感じられてフラフラ。歩くことすらいますぐやめたいとずっと考えながら、それでもまずは68キロ南相木村エイドを目指す。エイドで補給して、滝見の湯までの登りへ。滝見の湯でやめようかとわりと本気で考えていたところ、応援の車から「それが大事」の大音量が。投げ出さない、逃げ出さない、ダメになりそうなとき、などというベタな歌が突き刺さった。
なんとか滝見の湯へ。ここで食べないと峠を登れないので、無理やりそばを食べたけど、味覚が変になっていて味がしない。オレンジやグレープフルーツを物色していたら、エイドのおばちゃんから「パイナップルあるよー」と。1かけらずつパッキングされた冷凍のものだったけど、これがうまかった。たぶん、5,6コ食べました。半分凍っていたのもよかった。
滝見の湯でいつもどおりファイテンのマッサージを受け、荷物と装備を整理して馬越峠へ。事前につくった予定時間よりだいぶ遅れていて、歩いていて大丈夫か不安になり、峠の入り口につくまでは少し走った。このレースではじめて制限時間を意識した。
馬越峠を走ってみたいとスタート前は思っていたけど、そんな余裕なし。周りの人と歩調を合わせながら歩く。峠途中のエイドで横になろうかと思ったけど、膝に手をついて大きく深呼吸したら少し楽になったのでまた歩き始める。
峠後半戦は、実は斜度がそんなにないので距離の割には楽に進めた気がした。昨年より30分ほど遅れて79キロ到着。ここからは下り。休憩もそこそこに走り出す。下りが終わるところに祖父母と小さい孫といった風情の方が私設エイドをだしていて、自家製梅ジュースをいただいた。これもうまかった。今回は私設エイドにずいぶん助けられた。その勢いで、川上村エイドまで走る。
87キロ川上村エイドで、昨年はこの先の90キロからずっと歩いたことを思い出し、今年は走りたいと思っていたので、なんとか補給をと思い、今年からのメニューと思われるおかゆ+梅をいただき、ゆっくりゆっくり食べる。最後のランの力になってくれるだろうと期待しながら。
エイド出発後、最初の平坦はほとんど歩く。胃の消化を優先しようというのが言い訳。90キロをすぎてまた登り、最後の踏ん張りどころへ。
この先は、50歩走って50歩歩くを繰り返そうと思っていて、しばらくそれで進む。思惑通り、おかゆが力になってくれた。走る歩数を少しずつ増やしながら、1キロずつ進んだ感じ。呼吸は、はく方を意識していたらおなかの調子も悪くならず。はいて手放す、とか考えながら。
ラスト3キロもおなじペースで。90キロ地点では全く見えていなかった12時間台でのゴールが出来そうだとわかりペースアップ。最後はキロ5分半くらいで走っていたかも。最後の直線、ダッシュでゴール。カメラがたくさんいたけど、直前にデカフォレストリーチの方を抜いていたので、さっさとどいた。
体育館で着替え。例年同様、たくさんの死体。自分もその一員になる前に妻が迎えに来てくれたので退散。ビールがうまかった。
正直なところ、これまでで一番きつかったように思いました。日頃の練習、生活の中でさける時間、重なる年齢など、色々なことが要因と思います。
これで5回目の完走。あと5回か・・・、と本気で撤退を考えました。きっと忘れたころに来年もアーリーエントリーしていると思いますが。ありがとうございました。
野辺山、何とか完走できました。
激しく消耗していますが、忘れないうちに備忘録。
午前2時起床。前日8時すぎには寝たので割とよく眠れた。
3時20分すぎに妻の送迎で家をでて4時半ごろ到着。道路上に表示されていた気温は1度。使い捨てのポリ袋と雨合羽をきて朝の寒さをしのぐことに。
会場の導線は例年と変わらないので、自宅でパッキングしてきた荷物を預け、駅のトイレによってスタートラインへ。
事前に考えたタイム計画になるべく沿って、前半は飛ばさないことを意識。いつも比較的余裕でパスしていた一番電車の踏切が、今回はぎりぎりだった。
その後も基本は飛ばさない。あまり先のことを考えず、その場の状況を楽しむように心がけた。
昨年は遠く感じた35キロ稲子湯も42キロ八峰の湯も、それなりに余裕をもって通過。稲子湯の登り坂を走って進む余裕があった。今回はEPSONのGPSウォッチをスタートからオンにしていたので、自分の現在地や次のエイドまでの距離などがわかったのも非常によかった。
日がのぼって、小海町に入るころには気温が高くなってきたけど、昨年に比べたら相当まし。内臓の調子もまずまず。直前のお酒を控え、当日朝、酔い止めを飲んだのと、エイドでパンやお菓子を食べるときによく噛んで食べて、胃になるべく負担をかけないようにしたのもよかったのかも。私設エイドにもなるべくよって、楽しんで進むようにこころがけた。
50キロのお蕎麦エイドでおいしくそばをいただく。5時間25分の予定が10分ほど早く着いたので、トイレ休憩もできた。おなかの調子も悪くなかったし、帽子(ノースフェイスのホライズンハットとかいうやつ)もよかったのだと思う。
例年、50キロ過ぎからの北相木村に向かうだらだらとしたのぼりで気が滅入る感じになるけど、今年は前日説明会でユプシロンの栗林さんが「80キロが中間点の気持ちで」といっていたので、50キロ過ぎからもそれなりに淡々と走れた。地元の人の私設エイドは以前と比べて少なかったような気もしたけど。
65キロをすぎて、いよいよウルトラの始まりと認識。68キロの南相木村役場から71キロの滝見の湯までのパートできつくなってきた。きつい上りでいったん歩いてしまったら、疲れと足の張りと内臓の気持ち悪さが一度にきてしまって、ふらふらになりながら、なんとか滝見の湯にたどり着いた。
内臓の調子は悪かったけどお蕎麦を無理やりたべて、例年お世話になっているファイテンのマッサージブースへ。これでかなり復活。昨年リタイアした滝見の湯をスタートするときには、昨年の苦しさ悔しさが思い出され、今年は絶対に完走しようと自分にいいきかせた。
馬越峠に向かう74キロくらいまでの道は、どちらかというと平坦で走れる場所だけど、歩きが中心に。内臓の調子が今一つ復活しなかったので、そのまま馬越峠も79キロ地点の頂上まで歩き倒した。
ここで歩いたおかげか、下りでは内臓も足もだいぶ復活。85キロをすぎて千曲川沿いの平坦なところでも一定のリズムで走ることができた。とりあえず今は走れるから走ろう、1時間後にどうなっているかわからないけど、とか考えていた。
87キロの川上村エイドをでてからも走れた。90キロ手前までの平坦なところをいつもは歩いてしまうけど、今年は走れました。
ただ、当然その代償はあるわけで、90キロを過ぎてから全く走れなくなった。さっき抜いてきたランナーに続々と抜きかえされるけど、走り出せない。
90キロ時点の通過が15時55分ごろ。びっくりするほど当初の予定通り。最後の10キロはキロ9分のつもりだったけど、足も気持ちも売り切れてしまった。17時台での完走は確実で、特段ベスト記録が伸びるわけでもなく、ゴールで妻を長い時間待たせているわけでもなかったので、気持ちから切れてしまったのが正直なところ。
結局最後の10キロに1時間50分くらいかかり、17時50分前にゴール。ゴール前だけちょっと走ったけど、普通に走れたので、やはり気持ちの問題。それでも昨年のリタイアを取り返して、充実感のあるゴールでした。
前年のリタイアを踏まえて、いろいろ準備してきたことは無駄ではなく、ラスト10キロくらいまでは想定内で、本当に順調でした。最後の10キロの走り方は来年への課題とします。
デカフォレストまであと6回。
野辺山、完走できました。今年もしんどかった・・・。
備忘録。
3回目の参加で慣れもあって、自宅で後は荷物を預けるだけにしておいて、妻の送迎で3時半前に出発。4時半ころ到着して荷物を預け、駅前のトイレによってスタートラインに4時45分ごろには整列。
今回の目標は12時間切りで、そのためには(1)前半50キロを5時間以内でカバーする(2)下り坂はフォアフットを意識してひざ痛を防止する(3)50キロから71キロまでのエイドが少なくしんどいパートはOS1ゼリー持参でなんとかしのぐ、といったところが事前の作戦。シューズは悩んだけどホカオネオネでいくことにした。
山に入るとそれほどタイムを伸ばせないと踏んでいたので、オフロードに入るまでの最初の10キロをいつもより速めに入った。ラップは57分くらいで、周りはこれまでになく人口密度が低い状況。
その後もその状態は続き、エイドもトイレも快適だったが、周囲のランナーの人種が明らかにこれまでと違う感じで、本当にこんなに飛ばして大丈夫かとやや不安になった。42キロで預けていたリポDを飲んで、羽生名人の「運命は勇者に微笑む」を思い出しながら、勇気をもって前に進む。
50キロの小海町エイドで4時間47分で、思ったより相当早く到着。おそばも並びなしで余裕。ただ、前半戦から積極的にショッツなどを摂ったからか、やや胃がむかむかする感じがでてきてしまっていて少ししか食べられず。あと、エイドのおばちゃんが、エイドのお姉さんたちを「小海町のきれいどころだよ~!」と紹介してくれたのに、いい反応が返せなかった・・・。
50キロを過ぎてから上り基調となり、どこまで淡々といけるかの勝負と認識。北相木往復では、いつも折り返してきたランナーがぞろぞろと来るのだけど、今回はぽつりぽつりと来る状況で、ここもいつもと風景が違う。
何とか往復をこなしたものの、65キロくらいで完全に足がとまる。フォアフットを意識したからか、単純に飛ばしすぎなのか、両足のハムがつりそうになり、一度足をストレッチしようとしたら左太ももの前がつりそうになって、ここで足が死んだらもうだめだ、リタイアしようかと考えながらとぼとぼと歩く。
加えて胃のむかむか感も相当あって、何度か指をのどに突っ込んで、嘔吐を試みる。えづくと多少楽に感じたけれど、結局ゴールまで根本的な解決はできず。途中からは水と塩とOS1ゼリーだけで走った。
71キロ地点で例年同様ファイテンのマッサージをしてもらい、休憩もちょっと長めにとってだいぶ回復。ランと歩きを交互に入れながら、馬越峠を目指す。このあたりではもう12時間切りとかはどうでもよくなっていて、遠くの目標は考えず、まずはこの100歩を走るとか、目先のことを意識するようにした。
馬越峠ののぼりまではファイテン効果で順調、胃薬も飲んで頂上まで歩きとおした。くだりに入って残り20キロを確か2時間50分程度で走れば12時間切りが見えると冷静になり、80キロ地点あたりでガーミンのスイッチをオンに。
くだりはキロ6分前後で走れていたので、それでも周囲のランナーにぬかされまくりでしたが気にせず、ガーミンを頼りに走る。
いつも歩いてしまう千曲川沿いの平坦も、100歩走り50歩歩くといった感じで何とかペースを維持して87キロのエイドに到着。
食べられる内臓の状態ではなかったのでうどんはあきらめたけど、90キロに3時20分につけばのこり10キロをキロ10分でOKだと気持ちは前向きだった。
で、辿り着いた90キロで3時23分。キロ9分で十分だけどここからは上り基調。走れるところを走って、何とかペースを維持。ガーミンのラップペースとにらめっこしながら、100歩走って50歩歩くことだけに集中した。
残り5キロでキロ10分でOKな状況になり、そこからは踏切で止まるリスクがある分の貯金をつくることに注力。ラスト1キロになっても走り続けることはできず、ランと歩きが交互に入る状態。結局踏切で停められることはなかったので、その分思ったより早くゴールできた。目標だった12時間切りが達成できて、充実感のあるゴールだった。
今回の感想としては、(1)前半飛ばしたのは結果的に良かったけれど、途中本当にしんどかった(2)ホカオネオネだからかはわからないけど、膝の痛みはとても少なかった。かわりに太ももの筋肉痛がひどくつりそうになった(3)エネルギーの摂取の仕方に課題を残した(4)熱中症対策として保水力のあるネックスカーフ?を濡らしながら走ったのと、OS1ゼリーは良かったと思う(6)野辺山をタイム狙いで走るのは、もう最後でいいかな・・・。
こんなにしんどかったのですが、たぶんまた来年も出ます。
ありがとうございました。